エアギターこぼれ話

 

決勝直後のコラムで、エアーの力!!に感極まるあまり、書きこぼしてしまったこと…大会や選手にまつわるこぼれ話を書き留めておきます。

 

 

 

エアーの魔法使いたち

 

私のエアギター公式観戦歴はたったの3回ですが、奄美予選で6人、湯之元予選で8人、決勝大会で16人(オープニングアクト含む)、のべ30のパフォーマンスを観て、その多様性のとりこになりました。

 

一言で言うと、みんなちがってみんないいのです。

 

エアギター1本に、テクニックとエアー歌唱、豊かな顔芸で音楽ライブさながらに盛り上げるプレーがあれば、

 

エアギター以外のいろろな仕掛け(衣装替えとかセグウェイとか紙吹雪とか)が飛び出すてんこもり大道芸のようなプレーも。

 

その人が没入している世界に、我を忘れて自分も夢中になってしまう―そんな魔法を掛けてくれるエアギタリストたちが好きだなあと思います。

 

 

エアオフ

 

大会とセットで欠かせないのが「エアオフ」。

 

決勝大会の翌日、審査員、エアギタリスト、スタッフみんなで鹿児島市内を遠足しました。

 

フェリーで桜島へ渡り「船上のエアギタリスト」撮影、

 

かごしま水族館で海の生命の豊かさに感動し(お薦めはサツマハオリムシ)、黒豚ランチに舌鼓。

 

仙巌園で薩摩を築いた島津の殿様気分を味わい、

 

名物白熊かき氷を愛で味わい、西郷隆盛が最期を遂げた城山の洞窟で記念撮影!

 

エアーの魔法使いたちとの遠足が楽しくないはずがありません!堪能しました。

 

 

エアギターファミリー

 

さて、エアギタリストたちに、エアギターを始めたきっかけを聞くと、

 

「テレビで観てやってみようと思った」「予選に出ないかと誘われてやってみようと思った」という声がけっこうあります。

 

「やってみようと思った」。

 

………。

 

…軽い。

 

ほかの楽器とかスポーツではなかなかこうはならないと思うんです。

 

こんな調子よく一歩踏み出してしまう人たちが集まる「エアギターファミリー」だから、めっちゃおもろい文化が出来上がっているんですね。

 

 

打ち上げの席で、審査員のピョコタン先生が格言を残しました。

 

「とっても楽しいエアギターファミリー。だけど、一つ、欠点がある。誰もお金儲けのことを考えていないことだ。誰かを楽しませたい。ただそれだけ。それがエアギターファミリー」

 

 

エアギターが人生変えた

 

そんな、軽くて愉快なエアギターファミリーですが、エアギタリストの話を聞いてみると、人生を懸けた真剣勝負だと感じる場面もありました。

 

才能に限界を感じ、数年間エアギターを離れた。その間、世界で活躍するエアギタリストたちの姿を見て、「自分は何をやっているんだ?」と公式戦に戻ってきたエアギタリスト。

 

会社の管理職として部下の勤怠管理をしながら、エアギタリストとして公式戦出場の休みを確保できるかできないか…毎年やっとの思いで出場にこぎ着けるエアギタリスト。

 

決勝後の打ち上げでは、エアギタリストがあふれる思いを語り、(ときには涙が)止まりませんでした。

 

今季、奄美予選を1位通過して決勝に出場した初代島のナポレオンマンさんは、エアギターに出会ってわずか1カ月。人生や人との繋がり方ががらりと変わったと言います。

 

 

仕事は島の酒蔵の営業マン。6月中旬に、ライブハウス「マヤスコ」に焼酎の営業に行くと、ちょうどエアギター奄美大会の打ち合わせ中で、「出てみない?」と誘われた。その場では「無理ですよ」と断ったが、その晩、動画を見てみた。翌日、「やってみます」と返事をしたとのことです(軽い!)。エアギターの存在は聞いたことがあるくらい。Youtubeを見て研究し、そこに得意のストリートダンスを織り交ぜました。

 

「ハードルは低いのに大反響。エアギタリスト『島のナポレオンマン』として出たことで、自分自身のことも、焼酎「島のナポレオン」のことも認知してもらえるようになった。生き方の選択肢が一つ増えた」

 

 

聖地誕生

 

地方が何かの“聖地”になる可能性がある。鹿児島でのエアギター大会を見てそう感じました。

 

エアギター日本選手権の予選が鹿児島で初めて開催されたのは2014年。

決勝大会は2017年に日置市湯之元で開催され、2018年に長島町、2019年に鹿児島市と続いてきました。

わずか5年で、鹿児島は今日本で最もエアギターが熱い!と言われるまでになっています。

 

エアギターが鹿児島にやってくる前には、フィンランド・オウル市と仙台市との繋がりがありました。はじまりは2005年。仙台市とオウル市が産業連携協定を結びました。オウル市は1996年から毎年エアギターの世界大会が開かれており、いわば世界の中のエアギターの聖地です。

 

 

2011年、東日本大震災が発生。

仙台市とオウル市の担当者が、復興支援を話し合う中で、「人々を笑顔にできるもの」としてエアギターに注目しました。(フィンランドの木材を生かした仮設住宅を作るなどの案もありましたが、「エアーだからすぐ実現できる」という点でエアギターに決まったようです。)

そこで、日本エアギター協会に打診し、それまで東京で開催していた日本選手権決勝大会を仙台に誘致。2012年~2014年の4回、仙台市で開催されました。

 

2013年の決勝大会in仙台には、現在につながるいろいろな因縁があります。優勝したのは、鹿児島市のいのがみこうしょうさん(そしてオウル市での世界大会に進出し6位)。

 

いのがみさんがパイオニアとして、2014・15年に鹿児島市で予選を開催し、日置市湯之元のエアギタリーマンしんごろうさんが連覇しました。その活躍に、同じく湯之元に住み、まちづくりの活動をするエアネスサイゴウさんが注目して、湯之元でエアギターをしたいと持ちかけ・・・。

 

こうして、エアギターを面白がり、地元でやりたい!という思いを持った人々が繋がり、鹿児島に決勝大会を誘致する道が開けていきます。エアネスサイゴウさんは2018年、鹿児島県エアギター協会を立ち上げました。

 

熱い思いと物事を進めるパワーを持った人、それを面白がって巻き込まれていく人がいれば、どこでも、何かの聖地になり得る。そんなことを感じます。(もちろん、偶然の出会いの重なりもあります。)

 

聖地になるには、何千年も前に、聖人に馬小屋でうぶ声を上げてもらわなくても、菩提樹の根元で悟りを開いてもらわなくても、いいのです。

 

新しい聖地の誕生の可能性は人にあり、といったところでしょうか。

 

(ちなみに、今季、鹿児島での決勝を制した仙台出身の門田亭笑勝さんが小学6年で初舞台を踏んだのは2013年の仙台大会。縁を感じますね)

 

さて、そんなわくわくの予感がしたところで、筆を置き、来月の世界大会を見守ることにしましょう。

 

読んでいただき、ありがとうございました。